NFTアートと文豪と自死と諸々。

去年の夏あたりにこのサイトを立ち上げて「なんかそのうちいろいろいい感じにしとこ」と思って放置してたらレンタルサーバーの更新をガン無視してたらしく、サイトが消滅してたとさ。

ドメインだけ残ってたのかな。なんかよく分からんけどとりあえずURLは変わらんまま作り直している(というかまだ何も作ってない状態だったのでノーダメージだけど)

というわけで今引越し直後の段ボール部屋みたいなサイトになってるし、めんどくさいので多分しばらくこのままになってると思うけど、まあいいか。

なんかこう、シンプルシンプルだけどなんか情感、みたいな見た目にしたいのだが、Webデザインやったことないので右も左も上も下も分からん。

色々好みのサイトを探してたら、BiSHのモモコグミカンパニー先生が今月開設してたサイトがドストライクだったので、ソースコードを訳もわからず書き写している。

なんか色々動くしちゃんとしてるサイトだから、自分用に書き直すのには時間かかりそう…
想像以上にコードが長かったよう…

HTML/CSSはともかくjavascriptなんざ基本の構文も知らんから、「なんか似たような数字いっぱい並んでるな…」って思いながら書いてたけど、なんだこれ。

色々言ってると本題に入れないまま誰も読んでくれなくなるゾーンに突入してしまうので、タイトルの話に入ります。

先に言っておくが、これは有益な話でもなんでもなく、ただのひとりごとです。
しかも私のひとりごとは長いです。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾レベルです。

大切な皆々様のお時間を無駄にしないよう、このブログという名の思考だだ漏れタコ壷にお顔を突っ込むのは、何もすることがなくて本当にどうしようもないなこの時間は!!と思う時にのみ読むことをおすすめします。
たま〜に有益なことも言います。たぶん。

あ、あ、そういえば先週末Kindle出版したので宣伝をば。

定価280円でござる。
ここから配信コストを引いて、私に入るのはその7割なので、ブラックサンダー4つくらい買えるかな…?えへへ
表紙はイラレで10分くらいでぺぺっと描いたから雑デザインだけど、かわいいよね。色合いがかわいいよね。


でもタイトルをピンクにしたら引いた時に読みにくくてやっぱりクリーム色の方が読みやすかったんちゃうんかなと思ったり…でもそうしたら名前は何色にするんやってなるしまあもう出しちゃったから今更なんやけど…うじうじ…

まあいいやι(˙◁˙ )/よかったらよんでみてください。

 書き直しなので以前自分が書いたやつを読み直したのだが、自分が書いたやつって過去のものとはいえちゃんと自分だから、なんか下手に全然知らん人が書いたものより無駄に共感するし面白かったりするのよね。

このブログという名のうんぬんタコ壷もそうだし、電子書籍でもそうなんだけど、誰が見てるかどこまで読まれてるかは相手から申告されない限りわからないのだが、知り合いか知らない人かもわからないのだが、誰かがこれを見て共感したり何がしかの感情をもったりしてくれている「かもしれない」という希望は表現の原動力になる。

ただのひとりごとなら日記に書いていればそれでええじゃないかという話になるかもしれんが、こういうのとは別に私は日記も割とそれなりに書く。長文で書く。

自分の日記をオープンなものにしていない限り、日記とブログや書籍との違いはそれがひとの目に触れることを目的としているか否かである。

自画自賛したいお年頃なので、そしてどうせ誰にも見せないので言っちゃうけど、私の日記は面白い。
たまにこの面白さを誰かに共有したくなるときもあるけど、内容が非常にプライベートなので誰にもお見せできない。私の日記は自分の過去にあった思考とか感情とかを忘れないようにするためのものなので、生きている間は手元にあってほしいけど、私が死んだと発覚した時にはゴミ処理場で燃やされていないといけないので(日記は手書き派につき)、プライベートな思考を保つのは難しいことよ。

脱線したけど、少なくとも完全プライベートルームな日記とは違って、誰かに読んでもらえる可能性のあるこういう思考のだだ漏れ文章は、世の中に広く伝わってほしいとは思ってないけど(そうなる可能性が限りなく0に近いのでこんなにだだ漏れさせることができているわけなので)、あわよくば自分の知らないところで(知ることができるのなら尚良いのだがそれはそれで他者のプライバシーなので)、誰かが私の言葉を読み、少しでも「あ〜わかるわかる」と思ってくれているのなら幸せだし、そうかもしれないという希望を持てることが自分にとってけっこう重要だったりするのです。

さてさて。

本題にね。

入りますね。

最近NFTアートというものを知った。

NFTはノンファンジブルトークンの略で「代替不可能ですよ(こいつの代わりはどこにもいないんだよ)」という意味らしい。

寝る時にベッドで何気なくLINEニュースを開いたら「子どもの絵がめっちゃ高く売れてびっくり」みたいな記事を見つけて、一攫千金に目がないわたくしは次の日の朝起きてすぐNFTアートについて調べた。

もう本当に、普段世間に興味ない人間なので全然現代に追いつけないのだが、今年の4月に国内でめっちゃ流行ってたらしい。流行ってたらしいというのも、4月あたりにビジネス意識の高いYoutuberたちがこぞって動画を上げてるのを調べて知ったので、実際世間にどの程度浸透しているのかもよく分かってないのだが、とにかく金の(しかもアートに対する)話には目がないので、その日に早速Openseaにアカウント登録して、絵をアップロードして、コインチェックもMetaMaskも開設して、、

そもそも仮想通貨についても「私が勢いで突っ込んだら危ない分野」だと認識していたので、まず仮想通貨とは何かという基本的なところから始まり(一言で言えば法定通貨ではない通貨)、なるほどなるほどというところまできたのだが、Openseaに出品する最初のガス代が高くて躊躇している…

とりあえず出品しといて、興味本位で買いたい人はどうぞどうぞという感じでええや、と思っていたが、儲かる見込みのないものに金を使ったらお前の金がなくなるだけですよ、というのを私は大人になって学んだ。(当たり前のことです)

そもそも私は金をもらうのが苦手なのである。
変なプレッシャーがかかるのです。

「好き」を仕事にするのがいいか悪いかはともかく、そもそも「お金をもらって何かをする」というのが私は好きじゃないので、好きを仕事にすることは永遠にできないのである。つらい。

お金をもらうという責任に耐えうるだけの自信くらいは持ちたいものよ。

そもそもさあ。
なぜここまでやって気づかなかったという話だけど、有名な人とかその人のファンとかだったらともかく、得体の知れないやつのよく分からんものの所有権を有してたって、それがなんなのやって話なのよな。

私だったらいらんもんね。

「NFTって儲かるのん?!安く買って高く売ろι(˙◁˙ )/」みたいなよく分からず首突っ込んで手当たり次第NFTアートを購入してる人が間違って私のもついでに購入してくれたら御の字かもしれんが。

これからまだまだ加熱していくのか弾けるのか分からんが、そして分からないというのがより加速度を上げているのかもしれんが、とりあえず今のわたくしは円をイーサリアムに変えるだけの金銭的余裕がないので当分放置。円大事。

NFTのお話は以上。
でもアートの金銭的な可能性という点ではとても興味深いので、もう少し色々調べたりはしてみたい。

話急に変わるけど、ここ1週間ほどで、2冊の本を読んだ。

1冊は『文豪の死に様』。

面白かった。

著者が「死に様を描くことで生き様が浮かび上がる」的なニュアンスのことを本の中で言っていたけど、はあなるほど、という感じだ。

私は常日頃生き様を模索している人間なので、そして生死の概念にはとても興味があるので、なかなか興味深い。

この本の「はじめに」でも言及していたように、文豪の死に様というと自死のイメージが浮かぶ。

芥川龍之介や太宰治、川端康成、三島由紀夫。(この本で紹介されているのは芥川龍之介、心中では有島武郎)

ここから先は自死とか生死の話がつづきます。

重くなるような話にはならない(ように気をつけている)けど、こういう話をすることが不安定な人に対して少しでも緩和するものになるのか、より不安定さを増強させるものになるのかは判断ができかねるから、読むなとも読んでくださいとも言えないけど、

少なくとも心が健康な状態のときに読んでもらえると幸いです。

とはいえ、この本ではさまざまな死因の文豪たちが紹介される。
(そういう理由で太宰などがラインナップから外されている)

しょっぱな樋口一葉だけど、まさかの結核で24歳で亡くなっている。

嘘でしょ。知ってた?24歳だぜ。歳下。ショック。
5000円の写真の感じもうちょっと大人なんかなと思ってたよね。

申し訳ないことに『たけくらべ』すら読んだことがないけど、もう少し生きてたらもっと色んな作品があったかもしれないと思うと、なんかやるせない気持ちにもなる。

私は他者の表現が好きである。
それが「役に立つ」とかそういう基準じゃなくて、私じゃない人間が何を考えているのか、何を伝えたいのか、それが取るに足らないものであっても、私の感覚とはずれている部分があっても、面白いと思う。

死によってその人の中にあるものが外に出てこないまま消えてなくなってしまうというのは、それが自分が生まれる前に亡くなった人の死であっても惜しいことだなと思う。

2冊目の本の話にも繋がるのだが、私も生きているうちにちゃんと自分でしか共有していない感覚とか思考とかをちゃんと外に出しておきたいと思うし、私の生前であれ死後であれ、誰かの目に止まって「自分と同じことを考える人もいるもんだな〜」と思う人が1人でもいてくれたら私の生も報われたものである。

2冊目の本で、今日読み切った本なのだが、『ヒトはなぜ自殺するのか』という本を読んだ。
これがなかなかボリューミーで大変だった。
なんとなくこの本が良さそうと思って本屋さんで手に取ってレジに持ってったら3000円もしてまじかよと思ったけど、それ相応のボリュームはあった。

内容は比較的興味深くてスイスイ読めたのに、それでも数日かかった。

もともと自死のテーマには興味があって、というとめちゃくちゃ不謹慎だけど、この本で何度か言われていたように、生物というのは本来生きること、生きて自分の子孫を残すこと、というのが本能としてあるはずなのに、なんでこういう事象が起こり得るのか、不思議なものだなと思う。

私は別に実際本気で死んでしまおうとかそういう行動に及んだことはないけど、選択肢として自死を漠然と考えたりすることはあるし、このタイミングで私が自死を選択したらどうなるだろうという予測はしたことがある。したことがあるというか、よくする。普通にする。

「死にたい」と思ったことは滅多にない。「死にたい」という気持ちってどんな感じなんだろうって思う時もある。
死にたいという感情よりは、「もう生きなくてもいいんじゃないか?」という感覚が何度か襲ったことがあった。

私は割とニヒリスト寄りなので、生きること自体にはあまり使命とかは感じない。ただ生きているから生きている。
死にたいとも思わないから生きている。

とはいえ「生きていたい」という意思はある。
「もう生きていなくてもいいんじゃないか?」と思う時に「でもやっぱり生きたい」という感情が出てくるわけで、じゃあなんで生きたいと思うのかを考えると、それは自分が生きていたらどうなるのか、生き続けたら自分のこの先はどう変わっていくのか、未来の世界はどういうものになっているのか、未来を知りたいという知的欲求に尽きる。

いや本当に、自分が知的好奇心旺盛でよかったなと思っています。

死んでしまったらその先を知ることができない。
もし死んだら幽霊になって天から下界を見れますよ、というのが保証されているのだったらそれでもいいかもしらんけど、私は死んだ人も犬も猫も見れた試しがないので、信じるのは難しといった感じである。

まあ長生きしたところで人はいずれ死ぬのだから、知るにも限りがあるし、記憶したことも全て死(自分の死及び人類の死)と同時に消滅して終わりですよ、なところであるのだが、それでも生きている限りはいろんなことを知りたいと思うし、中にあるものは外に出したいと思うし、大いに俯瞰すれば全て無意味だろうとは思っても(何処かのアリの1匹の生き様とか悩みとかが人間たちにとって無意味なように)、私は俯瞰するような存在ではなく人間社会で生きる人間なので、自分の中にあるものや自分の周りの人やものは私にとってものすごく大きな存在なのです。

この2冊目の本はなかなかどの章も読み応えがあったのだが、5章に出てくるヴィクという女の子の生前の日記がものすごく自分の思考と似通っている気がしてなかなかに動揺した。

2014年に17歳の若さで亡くなった女の子である。

確かに文章は若いけど(邦訳だからそんなふうな書き方になってるだけかもしれんが)、優秀だっただけあって知的な内容が散らばってるし、思考の深い人間の言葉のように感じる。

私はもともと言葉の扱いが下手なのでこういうグダ文しか書けんが、この子は自分の思考をうまく繊細に丁寧に表現している。

自分の知らないところでではあるけど、またもや歳下の女の子が、それもまさに現代で自死を選んでいたというのはなかなかショッキングである。

その子が文章に残しておいたことで、その子の死後に、今私が本を通じて共感をしているというわけなのだが。
でも探せば、どこかに、自分と似たような考えを持つ人がいるもんだなあと思う。その人が今はいない人であっても。

だから生きている間にもっと色々な人の言葉を読んだり、作品とか、表現に触れたいなあと思う。

思ったより重くなってしまったが、あれだね、どうせ勝手に死がやってきてくれるんだから、わざわざお迎えに上がらんでもその辺で待ってればいいやというのが今の私の感覚ですな。

書きたいことの9/10くらいまだ脳内に取り残されている気がするが、長々しくなってきてしまったのでこの辺で。

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