後悔。

後悔先に立たず、というけども、後悔するときほど過去が鮮明になるもので、それは後悔こそしていても自分にとって大事な「過去」というものを自分に留めておくのに必要だったりするなあ、

と、

思ったりするのです。

大学時代、演劇サークルに入ってたんだけど、そのサークル大学創立当初からある結構長く続いてるサークルだったんだけど、私らの代で潰してしまった。

別にあくせくして挙句に潰れたというわけでもなくて、ただなんとなく後輩も少なくて、雑務とかを誰がやるのか、なんとなく皆忙しくなって、就活やら院試やらも始まって、そういうお芝居のような戯れごとに一所懸命に取り組むことが現実どれだけ役に立つのか、そういう雰囲気も生まれたような気がして、潔い、といえばいいんだろうけど、スッと無くしてしまった。

当時はまあ皆やることあるし、無理に存続させるものでもないか、と思ってたけど、本当に無くしてしまっていいものだったのかな、と思う気持ちが、数年たった今もぷよぷよとたまに浮いてくる。

周りがどうだったかは分からないけど、少なくとも私はあの空間がすごく好きだったなあと今更ながら自覚し始めている。

ただ皆が現実やら将来やらに目を向ける中で、そういうことにがむしゃらに取り組むのは、なんというかめちゃくちゃ暇人なのか逃避したいやつとか夢見てるやつみたいなレッテルがあるんじゃないかと思って、なんとなくストッパーが自分にかかっていた気がする。

サークルが消滅して間もなく、それとは全く関係なしに私の心が病み始めた。

演劇をしていた頃は分からなかったけど、そういう抑うつ的な気分になって、初めて感傷の表現というか、表現の場が現代社会の防空壕のような役割をしていて、そういう空間を作っている人たちはすごく美しいんだなあと気づけるようになった。

本当に、アマチュアの自己満足といえばそれまでだけど、どんな小さかったり、低質な場所でも、そういう場を1つ無くしてしまったのは、誰に対してとは言えないけど申し訳なさが生まれてしまう。

まあ当時の私は表現の場を逃げ場所とは捉えずただ単純に面白いからやっていただけだし、今の自分が何をやってもその時の私の表現をすることはできないけど、

何か、そういう美しいと思う空間に、ちょっとでも携われればなあと今でも思っている。

あの時の空間がすごく好きだったから、それを取り戻すことはできないけど、その代わりちょっとでも新しい逃げ場所を生み出していけたらなあと思う。

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